被爆76年の「8・6」に寄せて

〝広島と長崎を世界で最後の被爆地に〟――この被爆者の強い思いが、核兵器廃絶運動を支えてきたことは言うまでもありません。被爆者の平均年齢は83.94歳となり、被爆体験の継承は限られた時間との闘争です。何十年もの時を経て、決して思い出したくない体験を語ってくださった方もいます。それらは、まさに命を懸けた「不戦の叫び」です。きょう8月6日は、その被爆者の声に真摯に耳を傾け、平和の心を受け継ぐ日であります。

一、「締約国会議」への日本のオブザーバー参加を

核兵器禁止条約が本年1月22日に発効されました。この条約は、核兵器を非人道的な兵器として、全面的かつ完全に禁止し、核被害者への援助を定めた画期的なものです。私は従来から、「日本政府は条約に参加すべきである」と、強く主張してきました。なぜなら、条約を貫く核の非人道性という立脚点は、長年にわたって広島・長崎をはじめ、被爆の実相を語り継いできた世界の「ヒバクシャ」の熱意の結晶であるからです。

唯一の戦争被爆国である日本が、核兵器禁止条約に基づく締約国会議に、「オブザーバー参加すべきである」と、改めて強く訴えたい。まずはオブザーバーとしての早期参加を表明し、参加に後ろ向きな国々にも、対話の扉を開けることが重要です。日本が締約国会議を広島・長崎へ招致することや、平和記念式典の時期に合わせた会議の開催などを積極的に政府に提案し、市民社会と連携しながら取り組みます。

一、被爆建物の保存・活用に積極的に取り組む

世界遺産の「原爆ドーム」に代表されるように、被爆建物の保存・活用は、原爆の恐ろしさ、その愚かさを、後世に伝え残していく上で非常に重要だと考えます。

公明党は1994年、政府に原爆ドームの世界遺産化について提言しました。私は、「ポーランドのアウシュビッツ強制収容所も、いわゆる戦争遺跡として普遍的な価値を持つとの基準で登録されている」などと訴えてきました。さらに当時の羽田孜首相と面会し、「原爆の惨禍を今に伝えるものであり、核兵器の廃絶と世界の恒久平和を訴える“歴史の証人”だ」と直訴しました。こうした地道な政府への働きかけにより、96年12月に原爆ドームの世界遺産登録が実現したのです。

あれから25年がたった本年7月15日、萩生田光一文科相を訪ね、原爆ドームを国の特別史跡に指定するよう求める、公明党広島県本部の要望書を手渡しました。特別史跡は本来、「学術上の価値が特に高く、我が国文化の象徴たるもの」として、100年以上たっている史跡に指定される場合が多いのですが、原爆ドームの価値は、いやまして高まっていると考え、要望に至りました。萩生田文科相は「特別史跡にふさわしい」と応じ、前向きに取り組む考えを示してくれました。

また、爆心地から2・7キロの位置にある最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠」に関しても、全棟保存を強く主張してきました。被服支廠は、軍服や軍靴を製造していた軍需工場で、被爆直後は臨時救護所となり、多くの方が亡くなりました。

被爆70年の節目を迎えた2015年のことでした。私のもとに、「旧被服支廠の保全を願う懇談会」代表の中西巌さんが訪ねて来られました。学徒動員先の被服支廠で被爆した中西さんの壮絶な体験を聞き、その思いに胸打たれました。

しかしながら、広島県は19年12月、地震による倒壊の危険などを理由に「2棟解体、1棟の外観のみ保存」とする解体案を公表しました。私は20年1月、衆院本会議の壇上で、「全てを残してこそ、被爆の実相を後世に伝える訴求力がある」と訴えました。さらに「核兵器の非人道性や戦争の悲劇、愚かさを伝える平和学習拠点として活用することで、唯一の戦争被爆国である日本の姿勢を国内外に発信すべき」と主張し、国に被服支廠の保全に向けた支援策を講じるように促しました。昨年10月の再調査によって、建物の強度が想定より高いことが判明。そうした中、県は3棟全てを耐震化して保存する方向で検討すると表明しました。

本年7月15日には、被服支廠を国の文化財に指定し、保護に努めることも合わせて政府に強く要請しました。「物言わぬ証人」である被爆建物の価値を高めるため、保存・活用を引き続き政府に働きかけてまいります。

一、「黒い雨」で健康被害を受けた方々への早期救済策を

「黒い雨」とは、原爆投下後に降った放射性物質を含んだ雨のことです。

広島地裁は昨年7月29日、「黒い雨」を国が指定した援護対象区域の外で浴びた原告84人全員に、被爆者健康手帳を交付するよう命じました。

国は1976年、原爆投下直後に爆心地北西側の南北約19キロメートル、東西約11キロメートルに大雨が降ったとする、気象台の調査を基に、健康診断特例区域(援護対象区域)を指定しました。対象者は被爆者に準じる無料健康診断に加えて、一定の病気では被爆者健康手帳への切り替えが可能でした。しかし、区域外でも「黒い雨」は降ったため、健康被害を受けたと訴える住民が多くいたのです。

本年7月14日の高裁判決は、黒い雨を巡る司法判決となった昨年7月の地裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却しました。私は菅総理に直接電話をし、政府が上告しないよう総理に決断を求めました。そして、政府が上告を見送ったことで、7月29日に広島高裁判決が確定したのです。

これまで私は一貫して「原告84人に速やかに被爆者健康手帳を交付すべきだ」と訴えてきました。また、原告と同じような事情にあった人の救済では、「個別に認定していくための基準を早急に定めてもらいたい」と求めました。私は7月28日に直接、菅総理にお会いし、公明党の長年の主張を受け入れてくれたことに対する謝意を述べさせていただきました。今後、議論を加速させ、早急に認定基準を示すよう強く政府に訴えてまいります。